京都府高ニュース

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連載:憲法・教育基本法へのラブレター=『地球時代』の幕開けに際して=

 私は今年の三月で三五年間、教師として働いてきたことになる。私が教師になった一九七二年に一冊の本が出た。『教育とは何か』(矢川徳光著、新日本出版社)である。この本は、教育の中でつけていくべき力、めざしていくべき力として、『三つの力』をあげていた。『手をつなぐ力』『だまされない力』『平和を守る力』である。

 やさしいことばの中に教育のめざすべきものが、鍛え抜かれた三本の大黒柱として、くっきりとあざやかに形象化されていた。理想、めざすべきもののない教育は、もはや教育とは呼ばない。また、めざすべき力が『戦争する力』といったことではそれは反人類的、反人間的、反地球的教育といわなければならない。
 私は三五年間の教育・障害児教育の中で、どんなに障害の重い人も笑顔とともに手をつなぐ力を獲得していくということを学んできた。どんなに障害の重い人も仲間の中でコミュニケーションの力を獲得していくということを学んできた。教育から一切の暴力や体罰を一掃することが大切なことを学んできた。
 一方、私達のまわりでは“憲法をくらしの中に生かそう”と書いた垂れ幕は、京都府庁から何のまともな理由もなく引き摺り下ろされ、「要求」「共同教育」「研究」というような言葉は使ってはいけないといった、寒々とした風が吹き荒れた。しかしいくら風が吹き荒れても大黒柱はびくりともしなかった。そこにはまさしく教育における理想があったからである。そしてその理想は、憲法・教育基本法がめざすものであった。
 私達の理想は現実との絶えざる闘いの中にある。そこから生まれるべくして生まれてくるのである。二一世紀は『地球時代』の幕開けであり、憲法・教育基本法の理想が現実に転化する時代の幕開けでもある。そこでは、新しい人間が求められ、生まれ出る時代でもある。日本と世界のいたるところで、『新しい人間・全き人間』が刻一刻生まれつつある。

 そして今、これを読んでいるあなたも、そのひとりなのである。(向日が丘養護学校分会 松尾 隆司)